雑ファイヤー

どうもこんばんは。

何かしらついたての分野で文章を書きたくなったので久々に記事を書いてみます。





私は今の四段という段位を得るまでは割と段位やレートに固執するタイプの指し手でした。

初段や二段の頃、自分より高段の人が指す手にどうしても納得がいかないことが多々あり、それは自分自身が高段になれば理解できるような気がしていたので、そのへん段位に対しては割と強いコンプレックスを抱いていた気がします。




で、今は四段までは辿り着いたわけですが、正直根本的な盤面の見え方などが劇的に変わったとは思えないし、さして強くなった実感もないので、昔の自分と今の自分で何が違うんだろうと度々頭を悩ませるぐらいには自分の強さに疑問を持ち続けてます。

(もっとも最高段位でもない人が何を調子に乗ってるんだという話だけど)




ただその中で最近思うのは、自分って対局中自分で思ってるほど上手く指せてないよなーということ。

例えば他人の棋譜をviewerを通して見ていて反射的に首を傾げてしまうような疑問手でも、

自分自身対局のプレッシャーの中、時間に追われ、視野が狭くなっている環境下であれば易々とそのような手を選んでしまうことは日常茶飯事で、後日自分で棋譜を見返してびっくりするようなことが多々あったりします。

多分昔はもっと酷くて、今は多少対局慣れしたことでそこら辺がマシになってるのかな。




実戦的な話として思考の優先順位というのはとても大事なんですよね。

攻めの手を何十手と考えたところで自玉の即詰みを見逃して詰ませられれば負けなので、「今、自分が何を一番優先して考えるべきか」を常に明確にしておくことはかなり重要で、この要素が何となく段位者の中のレート差にかなり大きく直結してる気がします。




例えば、攻めが上手くいっているときは気持ち的にも受けの手を指しづらかったり、直感で指したい手を優先すると手順がぐちゃぐちゃになりがちなので、その辺は少し感情と切り離して思考のプロセスを組み立てる必要があって、それも実戦を積み重ねることで少しずつ思考の流れの癖をつけていくものなのかなと。




話をまとめると、対局を重ねることで優先して考えるべきポイントを多少無意識に選べるようになり、フィッシャーなどのルールにも少しずつ慣れてきた結果そこそこのレートを維持できてるのかなという仮説。

単純な盤面考察や読みの力においては低段でも自分より秀でてそうな人は沢山いるので、どちらかといえば実戦的な思考の部分で対抗できているのかなあと思いました。




段位関係なく、その人の吸収できると思ったところは全て吸収して、常に上を目指していきたい所存です。











もっとも最近は、対局しているときよりも一つの棋譜を複数の人間で鑑賞して意見を出し合っている時間の方が楽しかったりして、ああ自分は検討がしたくて対局を重ねているんだなあと思ったり。




昔の棋譜などを掘り起こすと、今とは玉回りの形だけでなく、そもそもの攻め受けの考え方などの意識にズレが感じられて、その辺りの変化は先人が検討を重ねて少しずつ進化を遂げていったのだと思うと、今は自分も歯車の一部として発展に貢献しているんだろうかと夢想します。

ひとりの指し手として、微細でもいいので盤上の戦術の歴史に波を立たせられる人でありたいなと。




そういうことをぼんやりと考えられることが、既に幸せなんですけどね。














〜〜〜



余談ですが、ちょっとマナーの問題について。


私個人の見解ですが、例えば初手投了が駄目とされているのは自動マッチングの趣旨に反する、と規約には記載されていますが、突き詰めると相手が不快に感じる場合があるからだと思っていますし、

裏を返せば相手が不快に感じる行為は規約に書いていなくても自重するべきだと考えています。(当たり前だけど)



規約に障らない範囲でその人が指したいように指すのはもちろん自由ですが、対戦相手への礼儀を欠いた行為をした結果、他のプレイヤー、ひいては界隈全体の空気に影響を与える可能性は考えて欲しいなと思います。

自由の責任というやつですね。



ついたて村がずっとほどほどに平和でありますように。